07−10 逡巡
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言わなければ良かった言葉。投げなければ良かったボール。
訪れればよかった場所。叫べばよかった詩。
今も何かを逡巡している。
誰かが、あなたが、オレが。
こわれもののようにそこにかしこにあるものを
傷つけてしまわないように
守ることができるかのように
ためらいが何も作り出すことがないということを知っていて
それでも、あなたは黙っていた。

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1970年にジョージ・ハリスンはIsn't it a Pity?という名曲を書いていて、<僕たちはどんなに相手の気持ちを引き裂いて、お互いに痛みを作り出している。何げなく相手の愛を利用するだけして、返してあげることがない。なんて悲しくて、どうしようもないんだろ?>と歌っている。今、いろんなコミュニケーションがこんがらがっているので(tangled up!)急にこの曲を思い出した。しかしまあ、糸井重里によれば、<きちんとした理由なんかなくても断ってもいいんです。理由を言わせようとするのは実は暴力なのです>と言うことだしなぁ。それもわかる。

07−09 まだ音楽をメディア(CD)で買っている。
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CDが増えまくっている。音楽産業はただちに僕を表彰しに来たまえ。約1200枚ちゃんと買っている。しかもあなた方が未だに煮えきれない態度でいるオンラインでのデータ販売を利用したこともない。香港からではiTunesが利用できないということもあるけれど、考え方としては音楽はパッケージメディアで買うということに凝り固まっている。ジャケットがないと話しにならないとかを言う以前に実在する何かが欲しいということから来ているのだと思う。


でも、この考え方は古い。違法ダウンロードが新しいと言うことではなく、情報をメディアという形で個人が保存しておくこと、そのものがどんどん古くなってきている。やはり趨勢としてはどこかにあるアーカイブをオンデマンドで引き出してこれるということだと思うし、これからは実在する何かがなくてもそれに執着するヒトもどんどん少なくなるだろう。文字も音楽も映像も。(書籍はどうなんだろ。コミックは既にその傾向があるね)


そうすると、所有をする=うれしい、そのうれしさを誰にともなく見せびらかすような気持ち、も無くなってくるわけだな。これは大変だ。僕は君の家に遊びに行くのだが、けっ、つまらんバンド買いやがって、とか、おおっ!だれだれの本全部持ってんだ!みたいな落胆や驚きがない。子供は子供で親父って難しい本読んでるなーというようなことも感じなくなるかもしれない。そこから始まる交友や親子関係だってあるはずだ。(あってほしい)


一方、家の中はきれいになります。知的所有物はとにかく場所を取る。それが今やハードディスク(家ではなくて外のもかもしれない)に全部収納されちゃってる。モノを捨てて部屋をすっきりさせれば、頭の中もすっきりするそうなので、いいことばかりかもしれない。


しかし、実体がないのに所有している気になるのかどうか。というようなことに悩む人々は本当にロイヤリティが高いよな。やっぱ表彰ものだ。もっとも業界の人たち自身が最早パッケージが売れるなんて思ってないんだろうから駄目か。とすればこのまま絶滅種で行くのか、どこかで転向(なんか古い)するかだなー。

07−08 ちゃんと確認しないと
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先日、帰国した時に、WINDOWS XPを買う必要が出てきて有楽町あたりで探したけれど品切れ。そりゃそうだ世間はVISTA祭りだものな。じゃ、どうせだから秋葉原まで行ってしまおうということで某目がストアにて無事購入。まだ香港では正規のルートで発売されていない任天堂Wiiはどう考えたって売ってないものよのぉと思いつつもゲーム売り場に行くと、なんと整理券をひっそりと配っているではないですか。さっそく並んでお一人さま一台限りをゲット。はじめてのwiiの他に2つソフトをつけて買う。やった。予定してなかった(期待していなかったため)出費(65000円)にはなったが、まあ、やはり、Wiiの面白さは体験しないといけないでしょということで、ハッピーな気持ちで山手線に乗る。


神田を過ぎたあたりでなんだか、あれーという違和感がある。65000円って高くねー?クレジットカードの控えを取り出してみると、なんと、Wii本体を2台買ったことになっていて、本当は40000円でないといかんだろということに気付く。うわー、よっしゃ、ゲット!という気持ちでちゃんとチェックせずにサインしてしまった。とにかく戻らないといけない。東京駅でおばかにも乗り換え秋葉原に逆戻り。


店まで戻る間にちょっとした恐怖というか心配が襲う。ちゃんと返金してもらえるのかどうかということである。そう思った理由は:


(1)(袋の中身を見せたところで)2台買った奴が1台をどこかに置いてきて(或いは誰かに渡して)つまらないクレームをしてるんじゃないんですか、と主張されたらどうしよう、ということと
(2)カードは香港で発行されたものを使ったので、返金あるいは取り消しという措置が面倒なのではないだろうか、ということである。


(1)の疑いなんて思い切りありそうですね。で、その場合、きっと自分はキレナイまでもかなり騒ぎそうな気もしてそれも嫌だな、と。(2)の場合で時間がかかったりするのも、かなり嫌だなと思いつつ、レジへ


助かった。(1)の可能性は、一人一台限りだからありえないのである。もちろん、そうとも思っていたが、応対に出た店員さん(購入した時のヒトとは違う)がひじょーに常識的な判断をしてくれてよかった、よかった。すぐに最初の65000円の取引を取り消し、40000円のものを新たに起こし、一件落着。あー、良かった。店員さん、もきちんと誠に申し訳ありませんでしたと言っていたので嫌な思いをせずに済んだ。帰路へ。


あ!電車賃を損してるじゃないか!!うーん、迷惑料として、なんかくれと主張すべきだった・・・・・と海外の生活でひねくれた心で後悔するのであった。


つーか、ちゃんと確認してサインしろ。全く。(でも、こういううっかりをしてしまい、対応が悪くて嫌な思いをしてるヒトも多いと思う。)

07−07 IF YOU WALK, I TAX YOUR FEET
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「歩くんだったら足に税金をかけてやる。」


税金の話しじゃなくて郵貯がATMの使用料を無料にしたということがニュースになっています。そもそもATMの使用手数料を取ること自体が不思議だと思う。例えば香港でこんなことが起きたらきっと暴動がおきます。外国はこうだから日本も見習えと言う論調は嫌いですが、自分たちのメリットになるのなら言ってしまうことにします(笑


銀行の立場からすると、ATMの設置で便利になった。そのためには多大な投資があった。よって手数料をいただきたいということかもしれない。


でも機械にしてくれなくても窓口の人数を増やしてくれてもいいんだよと。いや、それはできないし、窓口サービスだけでは不便でしょうということなのかもしれないが、どちらがいいかを決めるのは銀行の経営判断のはず。より円滑なサービスをしないといけない。これが出発点だとすると、その為に窓口サービスに従事する人員を増やせば人件費がかさばる。また、行員が増えれば、支店オフィスの賃貸料も増える。つまりATMの設置はリストラと捕えることもできる。


他行との競争に勝つためのサービスという観点から見れば無料で当たり前。ましてや預金金利もつかないのに。自分のお金を扱うのにお金がいるというのは理不尽極まりない。ビジネスだからお金をもうけたいのはわかるけど、どんな機会でも捉えて何でも課金していくのは納得がいかない。


ついでに言えばクレジットカード。更新するだけで1万円。本当はカードを持ってもらってやっとビジネスチャンス
が広がっているはずなのではないだろうか。先ずは持ってもらわないことには。香港では(笑)年会費の免除をしているカードが続続と登場しているし、実際には1万円ほどの更新料が必要となっていても、じゃ、更新しないよ、と
ごねれば、ただになるケースが多い。


お金をあずけてほしい。お金を使って欲しい、と言うのがスタート地点なのに、そのため更にお金を払っていただかないとというのは無理がないだろうか。一般的に全てにということじゃなくてしっかりしたベネフィットが高級カードに付与してあり、そこで手数料を取るというのならわかるのだが。


預金者に損した気持ちを味わせずに、自行の商品に(それももっと開発すべきでしょうが)お金を使わせた方が、
絶対、長い目で得なんだと思けど違うのだろうか?


スキー場のリフト代とか、観光地のジュースとか、フィットネスクラブのタオルとか、ホテルのチェックアウト1時間延長、とかも同じ種類の理不尽に感じてのだけど、こういうのはヒトによっていろいろ感じることがあるだろうな。

07−06 元気なじいさん、ばあさん増えろ。
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自分はこのまま年齢を重ねていってもどうも、分別のあるおじいさんになれないような気がする。分別のあるおじいさん、おばあさんは日本が世界に誇るべきものだ。潔くて、美しい。


だから自分もそうなれればいいのだけれど。


世の中の分別のあるおじいさん、おばあさん達は一体どのようにして、名実ともにそのようになることができたのだろうか。あるいは自分の知らないところで、世の中の人たちはきちんと分別を身につけているのに自分だけが、そうした手続きを踏んでないとか。(ありゃ、いきなり正解かよ。)


もしかすると本当はそんなものになりたくなくて、もっとやんちゃで色っぽくいたいのだけれど物理的にも精神的にもそうしていたほうが楽だからとか、そうせざるを得ないので仕方なくなっているのかもしれない。


ところでこれからはどうなんだろう。もしかしたら分別のことは忘れてしまっていいのかもしれないぞ。


先ずは格好付けたがりとされている団塊の世代が(悪い意味だけで言っているわけではないよ。格好付けも大事よ。見苦しくなければ)簡単には枯れないでしょう。彼らより後の世代は物質的にも精神的にダイナミックに変化した
時代を過ごしているのだから、煩悩を簡単に捨て去って分別のみに生きることはできないんじゃないか?


しかし、分別があると言ってもそれで矍鑠としていれればいいけれど、ただただじっと息をひそめていなければならないだけならかわいそうすぎる。それならばちょっと煩悩はあるけれど元気なおじいさん、おばあさんも素敵だ。世の中もにぎやかになりそうだ。


きっと放っておいてもこれからはやんちゃななじいさんや格好いいばあさんを目指すヒトが増えていくはず。60になっても格好いいロックを演ることはできる。日本のサッカー界をかき回すことも可能だ。(あ、こりゃ文脈が違いすぎるか)。


これからいろんな生き方のケースやライフスタイルのサンプルが紹介されていくんだろうな。そんな中でこれから5年、10年の内にはコミュニティなりムーブメントなりができあがっていくのかもしれない。老害でもなく晩節を汚すのではないベクトルで。何かを埋めていくかもしれないぞ。それが少子化のことなのか、負け組みのことなのか、知らないけれど。若いということだけが価値があることのように言いたがる今の社会よりはよっぽどいいはず。(若いのはもちろんもっともっとクールで無軌道であればいい)


年を重ねれば人生の周辺で起っていくことはますますヘヴィになっていくかもしれないけれど、めげずに元気なじいさん、ばあさんが増えるようにしていかないといけないな。

07−05 書籍のカバー
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本当は、人工芝のサッカーピッチというのをか7割ほど書き上げていたのに保存されないままどっかへ消えてしまったので別の話し。


学生の時に、書店でアルバイトをしていたので文庫や新書用のカバーをしこしこと折って用意しておいたり、単行本用のカバーを作るのに用紙に一からはさみを入れてセロテープも使って包装することも習ったんで、いまだに苦もなく出来る。最近は単行本にはきちんとしたカバーをかけてくれないお店が増えたので適当な大きさの紙を使って自分ですることも多い。ただ、自分は指先が器用ではないので、なんとなく、及第点が取れる程度にできるくらいで、他の人はもっときれいにもと速くできるのになと思っていた。


ところが最近では大手の書店に行っても、カバーのかけ方めちゃくちゃ也。先ず、準備してある用紙がきちんとまっすぐに折れてないし、折り込んでできあがった袋の部分に書籍の表紙の部分を差し込んでくれる時の方が珍しい。あー、そんなんだったら自分でするのでまっさらの紙ちょうだい。という感じです。


日本人って何となくそういうのは簡単にサービスできて当たり前なんだっていう勝手な思い込みが完全に崩れました。期待してはいかん。


かと思うと、商品知識もなかったりして。先日、空港の書店で新書を買おうとしたらレジの横に文芸春秋が置いてあった。(良くおいてありますね。それこそカバーをかけて)内容が面白そうだったので買おうと思って、あ、文芸春秋もいただけますか、って言ったら店員はバカか、こいつって顔して、あちらの方ですよと週刊誌のコーナーをあごで指し示した。んー、馬鹿はおめーじゃねーのかとも思ったが、隣の店員が、ああ、こちらですね、と言って彼女に渡したので、まあ、いいかと思ったけど、「ああ」とか言わないで欲しいですね。なんだか文体までおかしくなってしまった。


つまりあれですね。今までが過剰だったのかもしれない。カバーなど余計なサービスであり、商品のことなど、そんなに知らなくてもレジは打っていればつとまる。考えてみれば必要最小限できてればいいわけで、ああ、アジアの国々と同じではないか、と思った次第。


それはわかりましたが、だとすると、もっとこうした労働に対する賃金は安くなっていかざるを得ないですね。だって労働も単純になっていくわけですから。あと、お金じゃないところで、工夫することでやりがいができるみたいなことってどうなっていくんだろ。


人工芝ピッチはすばらしいという文を書こうと思ったのに、呻きになってしまった。ああ。

07−04 何かに没頭して無防備なさま
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あー。やってるね。お兄さんもお姉さんも。バスで、電車で。歩いている時も。ゲーム。いや、ゲームというよりPSPかDSのどちらか。楽しいんだよね。すごいゲームツールができたってことで、これはこれで暮らしの中にエンタメが増えたということで良いことにしよう。


でもね。ふと気がつくと、皆100%集中してるもんだから恐ろしく無防備だ。


ゲームに限らず。携帯でメールを打つのもそうだ。これなんか結構歩きながら打つこと多いし。ヒトにぶつからない、車にひかれないまでも、何か落としたりしても気がつかないだろうな。ましてやインナータイプのイヤーフォン(これがいいんだ。また。)なんかして音楽にも入り込んでいたら、完璧。


昔から家の外にいる時にこんなに無防備だったっけ?本を読むのはなんだかもう少しコントロールできていたような気もするけど。途中で切り上げやすかったり、ふと顔を上げてみたり。


いや、だからさ、危ないから、皆、気をつけようね、ってことが言いたい。


07−03 ヒト
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この仕事は言ってしまえばヒトなんだよな。いい人材がいて、うまくこっちとフィットさえすれば万々歳な訳で、でもそれは望めば手に入るというわけでもなく、かと言って望まなければ何も始まらないので、私はそれを望んでいるんだ、ということがうまく伝わるように努力しないといけない。


なのに上手く人材は見つかったら見つかったで、今度はその人材が流出しないかと、ビクビクしないとならない。多くの人が当たり前のように1年、2年で平気で仕事を変えていく社会はなおさらだ。


日本もいずれそうなるのかな?


だとすると不測の事態が起ってもなんとかなるような体勢を取ってしまうか、いや、それは資金のない小さな組織には難しいよな。あるいは、そこそこの人材であってもまわしていくことができるようなサービスに特化するとか。そうするともはや、この仕事はヒトだよな、なんて言っていられなくなる。山本七平曰く日本はなぜ負けるのかという理由の一つが精兵無き精兵主義を取ってしまうことだという。そんなことはありえないのだと。それじゃあ物事が面白くないな。


まあ、組織にいる全てのスタッフのことを考えなければならないわけではなく、マズローの法則でも紹介されるような組織をひっぱっていく20%の人間をどうするかについての難しさをかみ締めているところだ。