良いものかどうかが・・。

id:orion1014さんの26日分[連携とひとつの連帯]ネットワークの時代を読んだ。いいものを作る生産者といいものを手に入れて楽しみたい消費者がつながっている。それは良い人と良い人のネットワークでもある。というもので楽しく読んだ。

http://d.hatena.ne.jp/orion1014/20040426#p1

食べ物というこに限って言えば本当に安全で美味しいものをきちんと作るというのは、効率優先の経済の中でなかなかできることではない。とても悪い人に簡単に出来るとも思えない。そして、その価値を、相当の努力をきちんと知って多少なりとも高くても購入する人々。そして感謝して食べているならこういう人にもなかなか悪い人はいないように思える。

企業はそれに気がつかないということ。→気がついていてそれでもやってたりして。

たとえば僕も楽天やYAHOOなどで日本にいる親戚に季節のものなんかを贈ったりしている。(心を込めてということもあるが海外で放蕩している変な親戚あるいは息子あるいは兄を忘れてもらわないためでもあったりする。笑)香港にいてネットで商品を選び贈ることができるのは本当に便利だ。季節の魚介類であるとか地方の名産である麺類や詰め合わせなど。

春、夏、秋、冬、春などと数回にわたってそんなことをやってみたのだけれどためらいが出てきた。それはオンラインショップを出している店舗のどれが「良い人」なのかわからないときがあるということだ。言葉を使うだけなら簡単に「この一品」を演出することはできるだろう。いわく、<無添加><丹精を込めた><天然の素材を使った><〜〜沖で獲れた><イタリアはXX直輸入の>と言ったそれなりの言葉を使えば、ふーん、いいものなんだなという気持ちになってしまう。そんなことは初めからわからなかったのかといわれればそれまでだけど。

つまり、いかにも消費者の味方であるかのような、あるいはいかにも自然で身体にいいというような触れ込みでオンラインショップを出していることもあるに違いない。熱海で買う味の干物だって干物工場で大量生産されているものもある。悪いけどデパートや企業が乗り出してきたショップにはちょっと抵抗があるもの。よほど評判をきちんと事前に収拾していないと、安直にオーダーして家族や親戚に贈るのは怖いなぁと最近は思い始めている。そーたさんが書かれているような「よい連携」が証明されているようなショップにめぐり合えればいいのであるが。せめて贈り物の時くらいは本当に「良いもの」だけが「良いもの」と名乗ってはくれないだろうか。