• 辺見庸の「独航記」を読んでいる。元共同通信記者のこの人の著書をきちんと読んだ覚えが無い。(どこかに紛れこんでいる可能性はもちろんあるけど)大学受験に出そうなというと失礼だが格調の高い、しかし、だからこそ、時代がかった随筆だと思う。ものごとに対する姿勢と反応が正しく反骨であり、そこにもののあはれへの理解もあり、44年生まれというのもうなづける。最近こういうきれいな文章読んでなかったなと思う。もちろんだからこその批判は容易にできると思う。
  • 昨年帰った時には両親が住んでいる団地はますますくすんでいたし眼下にあった小学校は子供不足で縮小か合併かの道を迫られているらしい。団地の周辺の長い散歩道は春には桜が咲き並び家族連れが憩う気持ちのいい場所であったのだけど今ではホームレスのダンボール住居が立ち並ぶなんともさびしい場所になってしまった。1Fには商店街はあるのだが活気はない。
  • 今後のことを考えてファンドや株に興味を示している。(そんなことを考えるとは思ってもみなかった。)ファイナンシャルマネージャーによればリスクを分散しつつ長く続けること。そうすれば必ず成功する。チャートは確かにその通りのことを示したいたし今アメリカ人が年金が破綻したにもかかわらず老後を心配していないのは10年、20年のスパンで見れば必ず10%(年)くらいの上がりがあるからだ。
  • 意地悪な質問をしてみた。チャートはやはりワンオブゼムに過ぎないのだから長くやっていれば必ず成功するということを裏付けるのはこういう仕事をしているあなたにとって何?これは広告屋、デザイン屋に対してクライアントでこれ採用したらいくらもうかんの?というようなものだ。本来は答えは「あらゆる決断はどこまでも<アットユアオウンリスク>です。」でよかったのだろうけど彼は言った。「世界経済は必ず成長しようとしているし実際そうなってきました。」
  • そうかもしれない。何かの生産量、貿易の総額、技術の発展。それに伴って経済が拡大してることは間違いない。しかし、生まれ育った団地の周りの光景には希望というものが無い。暖かさと色をたたえていた活気のある世界は色はくすみ音も無いような場所になってしまった。団地のゴースト化っていうのは僕があそこではぐくまれていた頃からあった話で同じようなジェネレーションがこぞって新築の団地にやってくる。子供たちが巣立つ。やがて老いた者たちが残る。そしてゴースト化する。あたりまえかもしれない。
  • ではあるが、ああいう衰退の光景を実際に見ると本当に世界経済は成長しようとしてきたのかな?と思う。投資が賭けである以上衰退していくところに賭けてしまえば、それは負けだよね?それでもこれからも世界のあらゆるところで勃興から繁栄そして衰退を繰り返していく事が前提で中でも優良なモノに長い間、賭け続ければ5%なりの上がりが見込めるということなのか?
  • 感傷は感傷として置いておくことで折り合いをつける。勃興から繁栄そして衰退のサイクルは世界のいろいろな場所でこれからもあり続けるのだ。親たちのジェネレーションが燃え盛る時代を終えたというだけだ。モノごとの明るい面を見ましょう。例えばサッカーのピッチで子供たちが走り、蹴り、たくさんの親たちが一生懸命ギャラリーで応援する。これこそ暖かい春の陽だまりのような光景じゃないか。それに実家の団地だっていつ別の形でよみがえるかどうかわからない。それこそ日本という社会の課題でもあろうし。空疎なシルバービジネスという言葉だけではなくて衰亡した町を生まれ変われせるというような文化論からのアプローチ。
  • 「資産運用」は何らかの形で始めてみよう。
  • 畜生、iPodに入れたシド・バレットの曲。ほとんど前半がすべって録音されてない。ここ2ケ月で売り上げの勝負をかけたいようなアーティストならともかく。(糞)
  • 田嶋さん、いくらなんでも平山をA代表のシンガ遠征に召集、帯同ってのはどうなんですか?英才教育をきちんとほどこすためということならいいですが。
  • Flipper's Guiter The lost Pictures というDVDを楽しく・・・たのしく・・観た。オードリヘップバーンやゴダールに代表されるようなフレンチ。マージービートやバブルガムぽいサウンドや楽器の類。セピア調にわざわざアレンジされた映像。僕はフリッパーズをわざわざ追ったことはないが好きではあった。そして今ここに見ることが出来るのは紛れもなく彼らの世界。そしてあの頃ポパイや今はなきオリーブ、アンアンですらこぞって紹介していたスタイルがここにある。クルーカーディガン、ベレー、タートル、生成りかシングルのコート。すべてが正しくネオアコであってそして僕もあのような格好をしていた。前髪が少し長くサイドとバックを刈り上げたオザケンは誤解を恐れずに言えば僕のしていたのと同じだ。以前坂本龍一の80年代のコンサートを見て80年代とはあんなものだったのかと嘆息したことがあったけど、時代の流れもさることながらこれらはすべて50年代、60年代の模倣ではないか。でもそれがあのとき吹いていた風だったんだな。しかもそうわかっていてそれがかっこういいとおもっていたんだったな。しかしぼくはすべて観る気にならなかった。今は音で十分。またいつか引っ張り出して見ることにしよう。
  • 体重が64Kまで戻ってきてなんだか脇もしぼれてきてと思う反面腕の筋肉が無くなってきたのに気づいた。歳による衰えは言い出すときりが無いので割愛するとして腕の強化もしているはずなのにどうしただろう?このところプロテインはずっととらずダイエット系のドリンクばかりだったから?ことほどさように身体を作ったり維持するのは難しい。閑話休題。この間どこかのブログから女性ホルモンを意を決して取ることを決め(しかも家族には知らせずに、おそらくは40才近くの男)その変化をブログで紹介しているというサイトにたどり着いた。他人様の体のことなど僕の書いているような話ですらうっとおしいであろうにこの男のサイトには結構な同好の志や潜在的な同志の注目を集めているらしい。最近からだのにほいが女性ぽいそれになってきたとか髪の毛は合わないらしくてうすくなってきているとか書いてある。コメントも着ていたようだが読まなかったしそのまま別のサイトへ移ってしまった。別に嫌悪感があったわけではないけど。でもこのような行動って家族にばれないものかな?