思ったこと

かねてつ師匠から第1弾5枚が到着。そして今日になり第2弾5枚のDVDが届いており、少しずつ見始めている。ありがたい。


柔道(野村、谷)、水泳(北島)、体操団体と見ていくにつれ、一本の鋼の先を最後の最後までどちらか削る切った方がはじめて勝者なのだというような緊迫感を感じることができる。翻って男子サッカーのことを思う。「たられば」を言うのは良くないが内容を度外視した上で、あと1点あれば決勝Tに進めたのであり、そrをもって善戦したといえないこともない。けれどあれだけの不満や失望がわきあがったのは山本さんの「アテネ発ドイツ行き」というコトバに代表されるようにオリンピックを今、ここで、勝たねばならない場所と考えていないかなのような、引いた発言であったことのように思えてきた。


どこか抜け道のあるような、ゆるんだゴムのような、感覚。


ある雑誌のインタビューで山本さんはこうも言っている。「(オリンピックは)6試合戦ったということが大事でその結果がメダルなんです」


だが、真剣勝負の大会と考えれば「メダルを取るのには6試合を戦うのだ」というのが順当なモノの捕らえ方であるように思える。このように何かを含んだような発言が僕たちを不安にし、いらつかせたのだと思う。更にはアテネで予選敗退が決まってからも「次につながる戦い」というような中途半端な総括をしてしまった。指揮官は本当にぎりぎりまで勝負をしにいっていたのだという姿勢を見せることができなかったことで、批判を浴びることになる。


きっと、山本監督をして、あるいは協会の人たちも、このような意識をもってオリンピックに挑んでしまったのは以下のような事実に根ざしているのではないかと思う。(すでにどなたが指摘しているのだろうし、そもそも言わずもがなのことでもある):

五輪のサッカーは所詮、世界一を決めるアスリート、チームたちの戦いという意味では格落ちなんだということだ。


サッカーではU-21の下のカテゴリーはU-19である。U-17の下はU-15。これも間違いない。けれどナショナルチームの下のカテゴリーはU23+OAではない。つまり頂点に立つナショナルチームから見て次善のチームだというわけではない。代表Bがわざわざ作られなくてもそれはわかりきったこと。彼らは国を代表してオリンピックに出場しているが、年齢制限をベースにした選抜チームにすぎない。


オリンピックの他の競技でこんなにも出場戦手のステータスが低い競技はあるだろうか?(あるとすればテニスか?男子バスケ?でも最近ドリームチームも弱い。野球?そもそも今の状況ではどんな形でも世界一を争うことが苦しいかもしれない。)


サッカー以外の競技ではの競技では団体であろうと個人であろうとただただ唯一無二の頂上を目指して熱闘を繰り広げている。どの競技でも間違いなく世界一を争う戦いだ。オリンピックが終わるとステータスがひとつ上の年齢制限のない世界選手権があるということではない。


多分、男子サッカーのはがゆさは(他国の状況はわからないので日本の場合)<猶予>が前提になっていることにある。山本指揮官にあるいはJFAにゆるさを感じるのは発言がこのような<猶予>に裏打ちされているように聞こえることだ。最初から<猶予>のあるところに真剣さを求めるのは難しいなとさえ思えてきた。


*ただ、そのような<猶予>付の競技であっても、メダルへの道はあったはずで、それはまた別の議論にしたい。