07−05 書籍のカバー
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本当は、人工芝のサッカーピッチというのをか7割ほど書き上げていたのに保存されないままどっかへ消えてしまったので別の話し。


学生の時に、書店でアルバイトをしていたので文庫や新書用のカバーをしこしこと折って用意しておいたり、単行本用のカバーを作るのに用紙に一からはさみを入れてセロテープも使って包装することも習ったんで、いまだに苦もなく出来る。最近は単行本にはきちんとしたカバーをかけてくれないお店が増えたので適当な大きさの紙を使って自分ですることも多い。ただ、自分は指先が器用ではないので、なんとなく、及第点が取れる程度にできるくらいで、他の人はもっときれいにもと速くできるのになと思っていた。


ところが最近では大手の書店に行っても、カバーのかけ方めちゃくちゃ也。先ず、準備してある用紙がきちんとまっすぐに折れてないし、折り込んでできあがった袋の部分に書籍の表紙の部分を差し込んでくれる時の方が珍しい。あー、そんなんだったら自分でするのでまっさらの紙ちょうだい。という感じです。


日本人って何となくそういうのは簡単にサービスできて当たり前なんだっていう勝手な思い込みが完全に崩れました。期待してはいかん。


かと思うと、商品知識もなかったりして。先日、空港の書店で新書を買おうとしたらレジの横に文芸春秋が置いてあった。(良くおいてありますね。それこそカバーをかけて)内容が面白そうだったので買おうと思って、あ、文芸春秋もいただけますか、って言ったら店員はバカか、こいつって顔して、あちらの方ですよと週刊誌のコーナーをあごで指し示した。んー、馬鹿はおめーじゃねーのかとも思ったが、隣の店員が、ああ、こちらですね、と言って彼女に渡したので、まあ、いいかと思ったけど、「ああ」とか言わないで欲しいですね。なんだか文体までおかしくなってしまった。


つまりあれですね。今までが過剰だったのかもしれない。カバーなど余計なサービスであり、商品のことなど、そんなに知らなくてもレジは打っていればつとまる。考えてみれば必要最小限できてればいいわけで、ああ、アジアの国々と同じではないか、と思った次第。


それはわかりましたが、だとすると、もっとこうした労働に対する賃金は安くなっていかざるを得ないですね。だって労働も単純になっていくわけですから。あと、お金じゃないところで、工夫することでやりがいができるみたいなことってどうなっていくんだろ。


人工芝ピッチはすばらしいという文を書こうと思ったのに、呻きになってしまった。ああ。