07−06 元気なじいさん、ばあさん増えろ。
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自分はこのまま年齢を重ねていってもどうも、分別のあるおじいさんになれないような気がする。分別のあるおじいさん、おばあさんは日本が世界に誇るべきものだ。潔くて、美しい。


だから自分もそうなれればいいのだけれど。


世の中の分別のあるおじいさん、おばあさん達は一体どのようにして、名実ともにそのようになることができたのだろうか。あるいは自分の知らないところで、世の中の人たちはきちんと分別を身につけているのに自分だけが、そうした手続きを踏んでないとか。(ありゃ、いきなり正解かよ。)


もしかすると本当はそんなものになりたくなくて、もっとやんちゃで色っぽくいたいのだけれど物理的にも精神的にもそうしていたほうが楽だからとか、そうせざるを得ないので仕方なくなっているのかもしれない。


ところでこれからはどうなんだろう。もしかしたら分別のことは忘れてしまっていいのかもしれないぞ。


先ずは格好付けたがりとされている団塊の世代が(悪い意味だけで言っているわけではないよ。格好付けも大事よ。見苦しくなければ)簡単には枯れないでしょう。彼らより後の世代は物質的にも精神的にダイナミックに変化した
時代を過ごしているのだから、煩悩を簡単に捨て去って分別のみに生きることはできないんじゃないか?


しかし、分別があると言ってもそれで矍鑠としていれればいいけれど、ただただじっと息をひそめていなければならないだけならかわいそうすぎる。それならばちょっと煩悩はあるけれど元気なおじいさん、おばあさんも素敵だ。世の中もにぎやかになりそうだ。


きっと放っておいてもこれからはやんちゃななじいさんや格好いいばあさんを目指すヒトが増えていくはず。60になっても格好いいロックを演ることはできる。日本のサッカー界をかき回すことも可能だ。(あ、こりゃ文脈が違いすぎるか)。


これからいろんな生き方のケースやライフスタイルのサンプルが紹介されていくんだろうな。そんな中でこれから5年、10年の内にはコミュニティなりムーブメントなりができあがっていくのかもしれない。老害でもなく晩節を汚すのではないベクトルで。何かを埋めていくかもしれないぞ。それが少子化のことなのか、負け組みのことなのか、知らないけれど。若いということだけが価値があることのように言いたがる今の社会よりはよっぽどいいはず。(若いのはもちろんもっともっとクールで無軌道であればいい)


年を重ねれば人生の周辺で起っていくことはますますヘヴィになっていくかもしれないけれど、めげずに元気なじいさん、ばあさんが増えるようにしていかないといけないな。